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天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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信長・・18・・・三大経済政策 その一 (関所の撤廃)

  信長 三大経済政策 その一 (関所の撤廃)

 織田信長は永禄11年(1568)9月26日、足利義昭を奉じて上洛した。
六角承禎・三好三人衆・松永久秀らを撃破し、彼らに推戴されている足利義栄を敗退させた。
岐阜を出陣してから僅か19日後のことで、まさに電光石火の快進撃だった。

 信長は足利義昭が室町幕府第15代征夷大将軍となるのを見定めて、畿内に数多くあった関所や諸役を廃止することにした。
関所を廃止して旅人の往来を自由にし、庶民に課せられた種々の雑役をなくして負担を軽くしたのである。
 
 下位の者たちに手厚い信長の基本政策を明確に打ち出したのである。
何故なら、関所で通行税を徴収する権利や庶民に雑役を課す権利は、古代以来上位の者たちに与えられた特権だったからだ。

 この施策による経済の発展が日本を中世から近世へ脱皮させる大きな引き金となった。
信長は上洛した後、五畿内のほか支配圏内諸国の関所撤廃を断行した。

 関所は地侍にとって、関銭を取るほかに領地を完全に支配し収奪するため、外部との交流を抑える障壁の機能を果たす重要な仕組みであった。

 彼らは我が領地の百姓から取り立てた農産物を、特定した商人によって売却させ、領内の市場、座を掌握して利益を独占していた。
つまり、関所は地侍の命の源泉であった。(ここから一所懸命の言葉が生まれた)
その結果は小領地が互いに政治・経済面での交流が無いままに孤立を続けることになった。

 信長は関所を撤去し、楽市・楽座の制を導入すれば、地侍の堅固な収奪地盤は崩壊し、物資の大量な供給消費の道が開け、かつ領地内の百姓の完全支配の手段を失った地侍達は信長の元に結集して新たなる軍団を構成することとなると考えたのである。

 信長は関所を撤廃することにより、強力な軍勢と大量の軍需物資の供給ルートを掌握できるのである。
それまでは土地に密着し、小なりといえども我が領地の主人であった地侍が信長から給料を貰うサラリーマンとなったのである。

 関所の撤廃によってどのような効果が上がったのかといえば、恐るべき経済大変動・民度の大拡張が始まった。

 信長は関所を撤廃したときに、下人(当時は農奴のような扱いをされていた)を全て平百姓に変えてしまい、開墾した土地は与えたので農地が激増しはじめた。
つまり自作農百姓を増やしたのである。農地が激増すれば人口が激増する。

 信長は当時の民衆に、大いに生きていく意欲と言うものを与えるとともに、日本を中世から
近世の純粋封建制度に導いた歴史上重大な布石を行ったのである。

これが関所の撤廃の意味するところである。
by kenji1942 | 2011-01-27 07:04 | ブログ 信長