信長 宗教観と政教分離
2004年 09月 15日
わずかしか生きられない人間が抱く「人間の美しい夢」であると捉えていた。
比叡山の大殺戮を行ったことで、信長が宗教を認めなかったと言うのは間違いで、信長は宗教は認めるが政治の分野には入ってくるな、という事なのである。
当時、京都を押さえていた松永弾正から迫害されていたキリスト教の布教を許した。
イエズス会宣教師ルイス・フロイスやブァリヤーノなどから宗教以外の科学・工業・政治について多くのことを学んだ。
当時の浄土真宗の門徒は国主に年貢を納めず、その十分の一を懇志として石山本山に納める。
それを領主がとがめようとすると門徒たちから猛烈・甚大な反撃を受ける。
そのため地侍たちはやむを得ず一向一揆と馴れ合いになって年貢を折半するような形になっている。
その形が続けば信長の目指す純粋封建制度は成立しない。
宗教を政治の世界から引き離すことが信長の政策になる。
つまり、現世利益の追求をやめさせようということなのである。
あくまで信長に反抗した一向宗は大虐殺を受けるが、信長の政策にしたがった法華宗や・禅寺・キリスト教などは大虐殺を免れているのである。