信長 第四世代・少年近習 森 蘭丸
2004年 09月 21日
だが万見仙千代は天正6年12月・荒木村重・謀反に際しての有岡城攻めで討ち死にする。
万見仙千代戦死の後、それに代わる寵臣として15歳の森蘭丸成利が登場する。
蘭丸は容姿端麗なだけでなく、目から鼻に抜ける利発さを持ち合わせて、しかも態度の堂々とした感じの少年だったようである。
通称「森蘭丸」・・と言うのは、正確には「森乱成利」である。
信長の信任が厚かった宇佐山城城主・森可成の三男である。
(四男は森坊丸・五男は森力丸・・・蘭丸と共に本能寺に死す。)
森乱が信長の近習として活躍したのは、わずか三年に過ぎない。
仕事としては
①使者
②奏者
③信長の発給した朱印状などに書状を副える仕事。
常に信長の傍らに侍り、その手足となって動いたのである。
とは言うものの、彼は信長の寵愛する近習ではあったが、その行動範囲は信長の周囲だけに限られていた。
森乱というのは、確かに将来を嘱望されるだけの資質を持った少年であった。信長がもっと長生きをしていたら、その天下統一への事業を支える人材に育ったのだろうが、しかし、現実における森乱の三年間の実績を評価した場合、普通の小姓の持つ役割をさほど超えるものでも無かったというのが実態だったろう。
蘭丸伝説は江戸初期に醸成され明治になってから広く宣伝されたものである。