信長 浅井長政の謀反
2004年 09月 27日
家康謀反と言うのと同じくらいのショックと挫折を味わった。
足利義昭から発する政治的闘争と言う新しい場面の中で、妹婿であり、友である浅井長政に対する信頼感は見事に裏切られる。
信長は独創的な人間の常として、旧秩序の日常や習慣の中にいる人間を極度に軽蔑していたが、その軽蔑の根底には、人間はもっと自由な生き物だ、もっと新しく生きる事ができるはずだと言う確信があった。
だから信長は無名の人々を軽蔑せず、むしろ信頼した。信長の最初の手兵はたぶん悪童仲間の集合であり、秀吉や滝川一益は、彼が土中から拾いあげた人材である。
関所の撤廃や楽市楽座はみな庶民の為のものであった。
ところが、この浅井長政の裏切りから信長の内部で、その人間軽蔑が殻を破って流れ出し、拡大した。
なおさらに人間不信が表立ってこれ以後の信長の戦い方にあらわれるのである。
信長は残酷な男・残酷な戦争をする・・として衆目が一致するところの戦争の開幕である。
信長はこれまでは、戦場では徹底的に闘ったが、むしろ敵を赦して来た。
町人・百姓を敵にすることはなかった。
しかし、浅井の裏切りの後からは、容赦なく敵を殺す・・と言う光景が始まった。
明らかに信長における変質である。
戦争の仕方の変質であり、その背後にあるのは人間観の変質である。
それが、比叡山焼き討ち・長島一向一揆の大虐殺などを生むのである。
尚これらは、敵対勢力が反抗するのを、怒りにまかしての行為だけではなく政教分離を厳然と世に知らしめると言う事でもあった。