信長 武田信玄の西上
2004年 10月 02日
元亀三年(1572年)・信長39歳の時に武田信玄が天下盗りを念頭において躍動した。
信玄は上杉謙信を牽制するため小田原の北条氏政と同盟を結ぶ。
信玄の西上作戦は、勿論・将軍足利義昭を軸にしての反信長連合軍である・本願寺・朝倉義景・浅井長政達との連携の上に立案されたものである。
かくして信長は当時最強の武田軍団に対抗する為上杉謙信と盟約する。
すでに徳川家康は同じ立場から謙信と結んでいたが、信長の盟約はそれを更に強化するものであった。
つまり雄大な『遠交近攻策」である。
こうしたダイナミズムの改編をうながしたものはやはり将軍義昭である。
反信長戦線の結成を訴える義昭の「御内書・ごないしょ」と言う一片の書状がそのうねりを起こさしたのである。