天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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風雲 本願寺

本願寺顕如光佐は、義昭が備後鞆へ移住する前より早く、信長と和睦を交わして
わずか1か月後の天正3年・吉川元春に出兵を要請する書状を送っている。

義昭も武田・上杉・北条達を反信長勢力に誘うべく御内書を懸命に送っていた。
したがってここに、東に謙信・武田・北条、西に毛利・本願寺と言う、
かっての朝倉・浅井・武田とは比べものにならない強力な第二の反信長包囲網が完成したのである。

信長は上杉謙信・毛利輝元が義昭と本願寺の誘いに応じようとしている動向をいちはやく察知していた。
両者供に情報取得に全力傾注している。
新聞・テレビ・インターネットも何もない時代によくこれだけの情報が集まったものだ。
やはり、忍者・隠密・間者などと呼ばれるもの達が暗躍していたのだろう。
裏切・内通・二重スパイ等、戦国を生き抜く為のあらゆるモノが動員された。

本願寺武力の中核は、雑賀孫市率いる紀伊雑賀鉄砲衆であり、
彼らの所有する鉄砲の数は4000丁位はあったと思われ、
石山本願寺に籠城する雑賀門徒の数は5000人を超えていた。
又諸国から集結する門徒は段々と数を増し総勢4万人に達した。
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by kenji1942 | 2004-10-09 17:02