天才!信長 「鉢植大名」・・光秀の予感
2004年 10月 19日
それは光秀らの方面軍を指揮する老齢の重臣と、信長の子息をはじめとする
織田一門や若き近習達との世代交代である。
若手の優秀な側近を取り立てて近畿地方に配置して、政権の中枢に据える。
一方光秀や勝家等の重臣層には国替えを強制し拡大した織田領の最前線を守備させる。
これこそが天下統一後を見据えた信長の人事構想であった。
これが、光秀ら政権中枢にあった老臣が実質的に退陣すること、すなわち世代交代に
直結するのは明白である。
例えば武田氏を滅亡させた後、信長の老臣で北伊勢を領有していた滝川一益は
関東の厩橋への国替えを命じられしぶしぶ従った。
もし上杉氏を滅亡させればその地へ柴田勝家が国替えになったであろう。
すなわち功績のあった重臣であっても、信長の命令ひとつで自由に国替えさせようとしたのである。
この流れから見ると、次は光秀の支配地である近江の国滋賀郡を誰か有能な近習に与える予定ではないかと思うのが当然である。
天下人の命令を受けて本領から遠く離れた領国を預かり、転封(国替え)を繰り返す
いわゆる「鉢植え大名」の誕生は信長の新国家を樹立する為には必要不可欠であった。