天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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信長・20・・信長の経済三大政策・3・撰銭令(えりぜにれい)

信長の経済三大政策 その三 撰銭令(えりぜにれい)

 この撰銭令も、楽市楽座と同じで、信長が最初と言うわけでもないが、それを大規模に行ったものである。

 当時、貨幣経済は農民の間にもかなり普及していて、米穀を中心とした物々交換で賄いきれない物資の流通が行われていた。

 貨幣流通の過程で起こる社会現象が、撰銭(えりぜに)であった。
南北朝・室町初期の貨幣とは、、銅一匁(もんめ)の量目を持つ古銭で、中国の唐・宋・元からの渡来銭が主となっていた。

 奈良・平安時代に朝廷で鋳造した和同開珎などの皇朝十二銭は、数が減るにまかされ、それに代わる鋳銭が行われなかった為、中国通貨が通用することとなったのである。

 永録年間には経済の発展に応じた貨幣量の増大が要求されて、永楽通宝が最良質であった為日本の標準貨幣として用いられた。

 日本と中国で作られた模造品の古銭等が悪銭と言われていた。
良銭と悪銭は流通段階でその価値に当然の差が生じるので、商人の間では良銭を集めて悪銭を排斥する傾向がでてくる。
それが撰銭(えりぜに)と言う現象である。

 撰銭が一般化すると経済流通に支障をきたすので良貨と悪貨の交換比率を定める必要が生じてくる。

 信長も足利幕府の前例に習い、経済発展の素地を固める為に、撰銭令を定めたのである。
通用する銭の種類を定め品質によって、永楽銭の二倍、五倍、十倍と交換比率を指示する。

 通用を認めなかった劣悪な私鋳品は全て廃棄するが、撰銭の実施にかこつけての諸物の代価を高値になおすことは禁止する。さらに米による物品の売買が禁止された。

信長はこの撰銭令に違反するものは、厳罰をもって臨んだのである。

★★★

和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)は、708年(和銅元年)に、日本で鋳造・発行された銭貨である。

日本で最初の流通貨幣と言われる。
皇朝十二銭の第1番目にあたる。

直径24mm前後の円形で、中央には一辺が約7mmの正方形の穴が開いている円形方孔の形式である。

表面には、時計回りに和同開珎と表記されている。裏は無紋である。形式は、621年に発行された唐の開元通宝を模したもので、書体も同じである。

律令政府が定めた通貨単位である1文として通用した。
当初は1文で米2kgが買えたと言われ、また新成人1日分の労働力に相当したとされる
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by kenji1942 | 2011-01-28 22:57 | ブログ 信長