天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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信長53・・・本能寺・・3

本能寺前夜

 天正10年(1582年)3月11日・宿敵武田家を滅亡させて4月21日安土に凱旋した。
朝廷は勅旨を派遣して正親町(おうぎまち)天皇・誠仁(さねひと)親王からの祝勝の品を届け、信長を太政大臣か関白か将軍にしようと言う天皇方の意向を伝えたが、信長は返答せずに彼らを送り返した。

 信長は神戸信孝に命じて四国攻めを命じる。
一方、備中に侵攻した秀吉は城々を落とした天正10年5月毛利の将清水宗治を高松城に水攻めで囲む。

 城は水中に孤立し毛利は救援の大軍を派遣する。
総帥毛利輝元をはじめ、吉川元春・小早川隆景の両川以下全力を挙げての来援だった。
まさに織田・毛利の全面対決である。

 信長は自ら出馬の上毛利方と決戦し、あわよくば九州までも統一しようとして5月29日上洛し本能寺に宿泊した。
小姓以下40人前後の少人数であった。・・・将に油断。

 法華宗の本能寺は京都町衆の寺院で、堺から鉄砲を仕入れる取引の際には仲介者としての役割をつとめていた。

 翌・天正10年6月1日、信長は本能寺に博多の豪商島井宗室らを招いて茶会をもよおした。
毛利服属の先にある九州貿易・博多の掌握へと手を打っていたのである。

 信忠や公家衆・僧・商人らも訪れ、夜には囲碁の名人本因坊算砂が碁の相手をした。

そして、信長は最後の眠りに付いた。
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by kenji1942 | 2011-02-08 09:09 | ブログ 信長