天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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信長57・・・・本能寺の変…7

本能寺の変は突発的な事件であったのだろうか?
                   「日本史の謎」である。

 天正10年のものと推定できる足利義昭の御内書においては、

「信長を討ち果たすうえは、入洛の儀急度馳走すべき由、輝元・隆景に対し申し遣わす条、この節いよいよ忠功を袖んずる事肝要、本意においては、恩賞すべし、よって肩衣、袴これを遣わす、なお昭光・家孝申すべく候なり。」  
6月13日  義昭花押  乃美兵部丞とのへ

 これは山崎の戦いの当日に、小早川隆景の重臣であり毛利水軍のリーダーでもあった乃美宗勝にあてて発給されたものである。
この文章で注目するべきは、冒頭の「信長を討ち果たすうえは・・・・・」と言う部分である。

 ここで義昭は自ら信長を討伐したことを表明し、毛利輝元や小早川隆景に入洛のための軍事行動を要請しているので、乃美軍も奔走するようにと依頼している。義昭も鞆から海路を利用して京都に帰洛を図ったモノと思われる。

 義昭が6月9日付けで毛利輝元と吉川元春及び小早川隆景に宛てて、一斉に出陣命令を発したことと併せて、足利義昭が本能寺の変のクーデターの中心人物であったことが確定されるモノである。

 しかし、義昭の希望を打ち砕くのは、皮肉にもこの乃美兵部丞に御内書を認めた当日に明智光秀が敗退したのであった。
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by kenji1942 | 2011-02-10 07:19 | ブログ 信長