天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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信長62・・・本能寺の変・・12

      
     信長暗殺の首謀者は誰だ?・・1 

天下を震撼させた「本能寺の変」は、戦国最大の謎とされる。
「実行犯」は明智光秀であることは間違いないが、共謀者・黒幕の存在が各研究家・小説家から指摘されて久しく、本能寺の変後400余年を経た今も諸説紛々である。

光秀単独説

甲斐武田氏攻めを終えた後、信濃法華時で信長から「おのれに何の功があったか」と侮辱と折檻を受けた怒りが反逆を呼んだ。

★この話は「川角太閤記」に紹介されているが、資料的には二次・三次的で信憑性が薄い。


丹波八上城攻めにおいて、光秀は自分の老母を人質に入れて八上城主の波多野兄弟を誘い出したが、信長が彼らを殺してしまったので人質の老母を惨殺された。これにより怨恨がうまれた。

★この説は天正7年に八上城攻めが行われたときの出来事を起因としている。
その根拠としては「甫庵信長記」を更に軍記物として加工したものであり史実とは認められない。


家康饗応役を命じられ、精魂込めて役をまっとうしようとしたのにもかかわらず、些細なことで免職となって中国攻めの応援に廻されたため光秀は怒りと恨みで信長討滅を決意した。

★これも「甫庵太閤記」「川角太閤記」が紹介している説である。
しかし「信長公記」「兼見卿記」など信頼性の高い当時の史料によれば、光秀の接待は非常に高い評価を得ており免職の事実はない。

★フロイスの「日本史」によれば、この接待について信長と光秀の間で意見の衝突があり「信長は立ち上がり、怒りを込めて光秀を一度か二度足蹴にしたと言うことである。」と紹介しているが伝聞の域を出ない、本能寺の変のあとで流れた噂の一つとおもわれる。
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by kenji1942 | 2011-02-10 22:11 | ブログ 信長