信長 俺が全部やってやろう精神
2004年 11月 04日
人間というものは、大昔から何度も何度も同じことを繰り返していることに過ぎない。
自分が原点となって「私と世界」というところからやっていかなくては、しょうがない。
今一度、同じように、自分自身の切実な問題として繰り返す。
こういう祖型の反復。・・・・これが大事。
信長は姿勢としては、こういう感じだっただろう。
「俺が全部やってやろう」
自分を原点として行動して行った。
信長は実験精神が旺盛だったから、ザビエル以降の外国人から悪い精神を受けて、西洋的な面で、一種の実験と言うような形で随分と変なことをしている。
つまり、「何でも俺が全部やってやろう」・・・この気分が強すぎた。
★信長は49歳で死んだから、かえってよかったかも知らない。
権力者の陥りやすい問題として、周りにイエスマンばかりが集まり「裸の王様」となり失脚する。・・・このケースが多い。
西武の堤オーナーなども、周りが余りに畏怖する中で、30年間も独裁を続け、例えばホテル仕様のスプーン一本、皿一枚まで自分で指示をしていたらしい。
だから、晩節を汚したこととなったのだろう。つまり、「俺が全部やる」・・と言うことの悪例だ。
信長は聡明であったから、本能寺の変が無くて長命となっておれば、日本をもっと
偉大な国にしたかも分らないが、案外毛利征伐以前まででよかったかも。?
豊臣秀吉も羽柴秀吉あたりまでが、ハツラツとして迷いの無い後の世評にも好評であるが
絶対権力を握った頃からすこしづつ可笑しくなっていったのだから、天才信長と雖も同じ
穴に落ちないとも限らない。