人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

細川藤孝  馬揃え

「細川家記」によれば
天正9年2月28日、信長は禁庭に馬場を構え、近国の大小名を集めて騎馬の装いを整え叡覧に備えたとある。主上は御仮閣に出御、親王をはじめ公卿は列座し、洛中・洛外の貴賎も拝見を許された。

馬を引き出す輩には信忠・信雄・信孝らの織田一族・柴田勝家・丹羽長秀・細川藤孝・忠興・羽柴秀吉、明智光秀他多数の氏名を挙げている。
信長も馬場乗りを行ない、忠興をはじめ若衆は馳せ駆けを数回繰り返した。
是は馬揃えと言う近代の珍事であったと記す。

「信長公記」によれば
信長の当日の装いと言えば舶来の蜀江の錦地の小袖を着し金糸の縁取りがしてあったという。この布地は中国から渡来した貴重なもので三巻しかないもののうちの一巻を細川忠興が都で捜し求めて進上したものと記されている。

「お湯殿の上の日記」の2月29日によれば
昨日の馬揃えが見事であったと言うので今日、天皇と親王より女官達が信長のところにお褒めの言葉を伝えに行ったので信長の機嫌が一段とよかったと言うのである。
しかし、是は禁裏方の外交辞令である事は間違いない。

「兼見卿記」では
馬揃えは辰刻(御前8時)から始まり未刻(午後2時)まで延々とお行われたと言う。
その間、天皇・親王・公家・官女は巻き上がる馬糞交じりの土ぼこりと耳を聾する爆竹とにひたすら耐えなければならなかったのである。

是は信長の武力の示威であり恫喝の行動である。
つまり、信長の馬揃えは、正親町天皇から誠仁親王への譲位を迫る幕開きであったと思われる。

禁裏はこの信長の強引な手口に戦慄しながらも巧妙な遁辞を思いつく。
それは、「当年の譲位は金神の祟りがあるによって御延引する」とのことであった。
by kenji1942 | 2005-01-21 08:31