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天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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秀吉の野望  秀吉の国際感覚

 ポルトガルのイエズス会宣教師ルイス・フロイスの報告書によると、信長は日本を統一した後に大艦隊を編成して中国大陸を征服すると述べたという。
秀吉はそれに呼応するかのように、朝鮮に近い福岡県の一部である筑前守の官職名を願い出た。

 秀吉の大陸に対する態度も、当初は信長のそれを引き継ぐ形で、明国との勘合貿易の再開を主とする通商関係の樹立が本来の目的であった。

 秀吉の頃には東アジアの国際情勢も大きな変化を見せていた。
秀吉は堺・博多の豪商達と小西行長ら側近たちの情報から、イスパニア人がメキシコのマヤ帝国やペルーのインカ帝国を冷酷無残に亡ぼし金銀を奪い、原住民を奴隷的境遇に落としいれたことも、ポルトガル人がアフリカで奴隷貿易を行なって不正義な富をむさぼっている事も、これら西洋諸国がアジアを植民地化しつつあることも、正義を唱えるカトリック・キリスト教会が有効な批判を行なわないことも知っていたと思える。

 そのような中で秀吉は、東アジアにおいて明の力が衰えていく様子を強く実感していたと思われる。

 このように考えると、明の討伐を目標とした大陸征服構想には、秀吉が国内の統一を成し遂げた自信と勢いのもとで、明に代わって東アジアの「天下統一」を目指そうとした構図が見えてくる。
by kenji1942 | 2005-02-11 20:54