五代将軍・徳川綱吉 生類あわれみ令
2005年 03月 31日
これは武士から庶民に至る人々の価値観の転換をもたらすことになった。
「生類憐みの令」は将軍綱吉が22年間にわたって犬に限らず馬や生き魚(ドジョウ・うなぎを含む)、小さな虫に至るまで生類の殺生や虐待を禁じた。
生類の対象は捨て子・捨て病人・行き倒れ人などの弱い人間にも及ぼされた。
以上の「生類憐れみの令」は慈悲の心をもってあわれみを持ち、情けの心を抱いて殺生を禁じ、生ある者を放つ、仏教の放生の思想に基づくものであった。
「生類あわれみの令」が仏教の思想に基づくのに対して、「服忌令」は死や血をけがれとして排除する思想に基づいている。
近親者に死者があった場合、神事・慶事を行なわず喪に服する服喪期間とするなどがさだめられた。
「服忌令」は武士は勿論、大名や代官を通じて農村部に至まで広く社会に浸透して行き各地域に於いて、葬式にあたっての民族的慣行として影響を及ぼしている。
現在でも年賀状の服喪の欠礼の挨拶は慣行として引き継がれている。
このような「生類憐れみの令」・「服忌令」を綱吉政権は武家の社会に繰り返し法令を出して制度化したのであった。
戦国時代以来、人を殺傷することが手柄とされたり、犬を切り殺すような「武」に頼って上昇しようとする論理は過去に葬りさられていった。
武士に求められる事は、今や弓馬の道=武道ではなく、服忌をわきまえ儀礼を滞りなく進められる能力や学問・文化の能力にとって代わられたのである。