幕末の政争・・徳川慶喜と岩倉具視
2005年 05月 14日
朝廷では、孝明天皇をはじめ関白二条斎敬・朝彦親王らが慶喜の将軍就任を支持する。一方、京都岩倉村に隠棲を強いられていた岩倉具視が中御門経之らの反幕派の公家と連絡を取って慶喜の将軍職就任に反対をしていた。
しかし、孝明天皇の慶喜にたいする信任は揺らぐ事は無かった。
慶喜の将軍就任に反対していた、岩倉具視は政争に敗北したのであるが、この敗北こそが、薩摩藩大久保利通や・中岡慎太郎・阪本竜馬らが岩倉具視に近づくきっかけとなったのである。
12月初旬、徳川慶喜は孝明天皇の信任を受けて15代将軍となり慶應の幕政改革を行なう。
会計総裁・外国事務総裁・海軍総裁・陸軍総裁等専任老中を任命する。それは内閣制を模した行政の専門部局制で、幕府を近代的集権国家に近づける制度改革である。