三国志 曹操の人材活用
2005年 07月 03日
(人格者は必ずしも仕事が出来るとは限らず、仕事が出来る者は必ずしも人格者とは限らない。)
困った事だが、これが現実の姿である。政治の世界であれ、ビジネスの世界であれ、又、学問、文化といった分野でも同じことが言える。
人格者で仕事が出来るというに事にこしたことは無いが、一方が欠けている時に、どちらを欠く人間をとるか?
「儒家」は「いかに仕事が出来ても人格劣悪であれば用いない」という立場であり、「法家」は「人格より仕事が第一」と言う立場をとる。
軍中の典獄、あるいはその人にあらずして、以って三軍死生の事に任ず。 われ甚だこれを懼る。(魏書・武帝記)
(軍の司法官の中には、適格者でもないのにその職務につき、全軍の生死に関わる仕事をしているものがいる。非常におそろしいことだ。)
「能力主義」は現代ですら完全に行なわれていない。まして三世紀のはじめの中国では、これは革命的な考えたかたであったといえる。
「軍中の典獄」・「三軍」を他の職種、組織に置き換えれば、いま我々の周辺でも立派に通用する言葉であると言える。