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天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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三国志 三国の終焉

263 蜀・・魏軍が侵入し劉禅が降伏、二代42年で蜀が滅亡。
265 魏・・晋の司馬炎に禅譲し、五代45年で滅亡。
280 呉・・晋軍に降伏し、四代59年で滅亡。

 後漢王朝が滅び、魏・蜀・呉がそれぞて独立してから四十数年たった。
まず滅びたのは蜀である。魏の侵入に、二代目劉禅はあっさり降伏してしまった。その魏も二年後、司馬氏に乗っ取られて滅び、晋にとってかわられる。
そして、最期に残った呉も、その15年後、晋の侵入によって滅亡し、三国時代は終焉を迎える。
 
 この間楽し、蜀を思わず。(蜀書・後主伝注)
(退位してからは楽しくて、蜀のことなど思い出しません)

 蜀の二代目、劉禅は父の劉備と違って「凡庸」とされて何らの事跡も残していないが、その在位40年間、三国の君主の中では最長記録を作り、曲がりなりにも持ちこたえたのは「凡の非凡」ともいうべきか。それは、孔明が礎を固めてくれたからであるが。

 劉禅は魏に降伏してから洛陽に止められて8年を過ごし、魏が晋に代わるさまも見て、65歳で没した。

 司馬炎は、魏の相国・晋王となったが、程なく炎は禅譲をせまり、みずから帝位について晋を建てた。

 三国のうち、最期に滅びたのは呉である。
孫権は、よく曹操、劉備に対抗して呉の守りを固め、南方の強国に育て上げた。その在位は呉王として7年、呉の大帝として24年に及んだ。
孫権の前半は創業者の名に恥じなかったが、その晩年は後継者問題でつまずきを見せる。
名将・陸遜 も後継者争いに巻き込まれて憤死する。

279年、司馬炎は20数万余の大軍で呉を討つ。
280年、呉の首都・建業(南京市)はたちまち陥落し、呉が滅ぶ。

ここに、三国時代の終焉をむかえたのである。
by kenji1942 | 2005-07-13 08:40 | 三国志・・曹操