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天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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信長と蘭麝待(らんじゃたい)

天正2年(1574)正月、 
・・供養のあと、信長馬廻りだけになったところの酒の席で、
「古今に承り及ばざる珍奇の御肴出で候て、又、御酒あり。去る年北国にて討ち取らせられ候、
1、朝倉左京太夫義景首。1、浅井下野、首。1、浅井備前、首。

首三つ、はくだみにして御酒宴。
各々御謡、御遊興。千々万々、目出たく、ご存分に任せられ、御悦びなり。」・・「信長公記」

同年三月、
それまで弾正忠のままでいた信長が公家になる。
永い間、副将軍になることを断っていた信長が参議に任じ、従三位に叙せられる。
(将軍に準ずる待遇となる)・・・・・、

このことで信長は貴族社会の階級序列の中に自分を投じた・・と世間に受け止められた。
が・・・・なんと、叙任と同じ三月に、「蘭麝待」切りが行なわれた。

「蘭麝待」は、聖武天皇以来、東大寺正倉院の宝蔵に今に至るまで護持せられている香木で
八代将軍足利義政が切った他は,歴代の天皇も切ってはいない。

多くの将軍もそれを望んだが「唯ならぬ事に候の間、相叶わず」
それ程の宝物・「蘭麝待」を信長は大して盛会にもせず、御供の御馬廻の面前で
「一寸八分」を切り取らせる。・・・・「信長公記」

参議になって貴族社会に属したと思った途端の蘭麝待切り・・・・
天皇であっても出来ないか、又しないようなことでも自分がやってのける。

信長が欲すれば、天皇の上に出られる・・・この事を世間に見せたものであろう。
by kenji1942 | 2005-12-14 20:57