安土城築城と大納言叙任
2006年 01月 04日
曽我五郎所持と伝える星切太刀やそれまでに集めた三国の重宝と
岐阜城・尾張の国、美濃の国を信忠に与え、信長は茶の道具だけを持って
佐久間信盛の私宅に移った。
そうして天正4年正月から総奉行を丹羽長秀に命じ自分の居城を安土に造営するのである。
信長43歳飛躍の年であった。
信長の最終目標は天下統一の為安土では無くあくまで石山本願寺を退却させて
そこに巨大な城を築くことにあった。
当時・信長の勢力が中国地方に及ぶことを恐れていた毛利輝元は
、備後の鞆の浦に亡命していた足利義昭の仲介を受けて本願寺と結んだ。
又北陸に信長の侵攻を恐れる上杉謙信は、信長と手をきって本願寺と和睦。
それまで弾圧していた一向宗を容認し信長配下の柴田勝家と争う。
毛利・上杉ともに本願寺と結んで我が領土を守ろうとした。
ここに最強・石山本願寺が信長の喉もとに突き刺さってきた。
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