信長の夢 安土古城図 迷宮
2006年 02月 05日
信長は安土城に己の思想と才能の全てを投入した。
従って、安土城の全貌が判れば信長が判るとも言えるのである。
安土城には、信長の夢・願い・野望・その他ありとあらゆるものが込められている。
★★★
安土城の姿を探る為の数少ない手がかりの一つに、安土山一帯の様子が記された絵地図がある。
図の名前は「近江国蒲生郡安土古図」という。
信長の菩提寺である総見寺に代々伝わってきた平面図である。
江戸時代・第五代将軍綱吉の時代・・・安土城焼失の100年後の貞享4年(1687年)作成
この平面図をみると、安土城も近世の城とさして違いは無いかの如くにみえる。
要するに天守と本丸、二の丸などで構成され家臣の屋敷があるだけに見える。
だが、現地での発掘が進むにつれて、この「安土古地図」に簡単な略図で描かれた道や建物の下には、驚くべき複雑な構造と意図を持つ建造物が埋もれていることがわかったのである。
4本の迷路。
「安土城古地図」の中枢部に「本丸」と「天守」がある。
この部分へ向かって、いくつかの方向から複数の道が伸びている。
1・「大手道」・・・・(おおてみち)
2・「百々橋口道」・・(どどばしぐちみち)
3・「搦め手道」・・・(からめてみち)
4・「七曲がり道」・・(ななまがりみち)
信長はこれら複数の「不思議な道」をその内部に張り巡らせる事によって
安土城をあたかも迷宮とでも言うべき複雑な構造を持つ城塞にしていたのである。
"