信長資料 細川藤孝 本能寺の変前夜
2006年 03月 04日
天正10年6月1日に本能寺の信長のもとに参じたのは、近衛前久・二条昭実・鷹司信房・飛鳥井雅教・西園寺実益ほか多数の公家及び僧侶・地下の者少々が参じて茶会があり「大慶大慶」であったと記してある。
しかし、「大慶大慶」ではなかった。
信長は公家らが持参した進物を全て返却し、先に申し入れた通り、朝廷は三島暦を採用し本年12月に閏(うるう)を入れることはどうなっているのかと問い質した。
陰陽頭・土御門久脩は信長の鋭い視線の中で返答に詰まった。
伝奏・勧修寺晴豊は「これ信長無理なる事と各申す事也」と書き残している。
さかのぼる4月25日伝奏・勧修寺晴豊は天皇の意向を体して信長に「太政大臣か関白か将軍」のいずれかに望み次第に推任することを伝えていた。
信長はこの返答を保留していた。 "