信長資料 細川幽斎 秀吉のおとぎ衆となる
2006年 03月 09日
天正14年幽斎は4月、山城の国西岡で三千石を在洛料として秀吉から拝領したとある。
「千利休由緒書」によれば
千利休は信長より御茶頭を仰せ付けられ三千石を給されたとある。
他の茶頭の今井宗久・津田宗及も三千石を与えられたようである。
その待遇は秀吉も踏襲した。
今、細川幽斎が秀吉より与えられた在洛料三千石は、茶頭三人と同格である。
細川幽斎はこの時より秀吉側侍の御とぎ衆として遇されたのであろう。
天正14年10月「細川家記」によれば
徳川家康が秀吉と和睦後、初めて上洛してきたので、秀吉は大いに喜び饗応した。
その席に細川幽斎も相伴し、この時から幽斎と家康は殊に睦まじくなった。
秀吉はこのころ、奏請して豊臣の姓を与えられた。 "