細川幽斎 古今集の伝授
2006年 03月 12日
諸大名は大坂城に行き本丸の豊臣秀頼に年賀を申し上げた。
又諸大名は西の丸にも行き徳川家康にも賀詞を述べた。
諸大名は秀頼と家康のいずれに礼を先にすべきかおおいに迷った。
正月25日 細川忠興はその子・光千代(第三子、のちの忠利)を江戸に送り、秀忠のもとに質に出した。
細川幽斎はこのわずらわしい世情を離れて、古今の世界に繭籠もろうとしていた。
細川幽斎は正親町天皇の皇子・誠仁親王の第六王子の智仁(としひと)親王に古今伝授を思い立った。
智仁親王は学問・文芸の志があり、以前より細川幽斎から連歌・和歌の指導を請けておられた。
幽斎はこの時69歳になっていたこともあり、家康からも智仁親王に幽斎も老年となったので早々伝授を受けるように言ってきた。
幽斎はこの問題にわざわざ家康を担ぎ出し文芸の世界に政治を持ち込み、徳川と豊臣両家の承認を取りつけて臨んだのである。
幽斎の深謀遠慮というべきであろう。