天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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細川幽斎   大坂方に攻められ田辺城に篭城す

慶長5年7月18日に丹後・田辺城の幽斎のもとへ大坂から飛脚が到着し昨17日に忠興夫人(お玉)が生害したとの報告が届いた。
仰天しているところに追っかけて石田一味の兵が丹後に攻め入るとの知らせがあった。

「細川家記」によれば
18・19両日のうちに家中の者は、幽斎の命令により諸城を悉く明け退き田辺城に集合した。
幽斎は籠城の様子を関東に在陣する忠興に知らせようと思ったが敵の陣所の警戒が厳しくなかなか実行できなかった。

智仁(としひと)親王を中心とした細川幽斎救出活動の結果、
禁裏ではいよいよ宸襟を悩まされ「幽斎討ち死にせば、本朝の神道奥儀、和歌の秘密永く絶えて神国の掟も空しかるべし、古今伝授を禁裏へ残さるべし」との趣旨を貫いて、大坂の豊臣方へ勅旨を下され、前田玄以に対し「急ぎ田辺の囲みを解き、幽斎を城より出すべき」旨を仰せ付けられた。

幽斎は古今集の伝授者として生き残るべしとなった。
しかし、幽斎は敵の謀計で和議のことを言ってきたのだろうと考え断る。

そこで天皇は3人の勅使を下される。
「幽斎玄旨は文武の達人にて、殊に大内(宮中)に絶えたる古今和歌集秘奥を伝え、帝王の御師範にて、神道歌道の国師と称す。今玄旨、命をおとさば世に是を伝うる事なし。速やかに囲みを解くべし」との事であった。

是を聞いた大坂方の諸将は畏まって了承した。
勅使はすぐに前田玄以子息を案内者として田辺の城に入り叡慮の趣をねんごろに伝えたので
幽斎は勅使を饗応し城を出る決心をした。

いずれにしても幽斎は武人としての意気地を脇において、古今伝授の事によって禁裏を動かし、田辺籠城の家士・女子供・僧・地下の者たちの命を救ったのである。

幽斎は天下分け目の戦に身を処するに当たり、血なまぐさい争覇の世界を
外に見て生きながられる方途を策し、歌・太鼓・笛・鞠・踊り・茶・香さらに包丁道までもに心を引かれ、風流に身をやつす道を選んだと思われる。 "
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by kenji1942 | 2006-03-14 05:57