西郷隆盛と大久保利通
2006年 05月 16日
西郷軍の敗戦は士族の時代がもはや過ぎ去ったことを物語る。
西南戦争の終結によって、ようやく中央集権は完成し大久保利通は官僚による絶対主義システム作りに専念する。
明治11年(1878)5月14日、大久保利通は馬車に乗って邸を出て、馬車が紀尾井町の清水谷にさしかかった所で、石川県士族の島田一郎ら6名の暴漢に襲われる。
この時大久保利通49歳、きしくも織田信長と同年の年齢である。
最後の言葉は「無礼者」の一言であったと伝えられる。
西郷隆盛は西南戦争で倒れ、木戸孝允は西南戦争の最中に病死してすでに亡く、この大久保利通の暗殺で「維新の三傑」とよばれた人々は全て死去する。
明治はまだ始まったばかりで、日本は世界に向けてようやく新たな一歩を踏み出した矢先であったが、この時、一つの時代が確実に終わりを告げたのである。
将に明治維新の終焉である。