通商国家・カルタゴ の興亡---- 6
2006年 05月 26日
フェニキア人はカナンの地から北アフリカに渡り、現在のチュニジアの首都チュニスの地に新しい町を作った。
そこで、その町はカルト・ハダシュト(新しい町)と呼ばれ、ローマ人はここに定着した人たちをカルタゴ人と称したのである。
カルタゴとローマの間で、三度にわたって繰り返された戦いを「ポエニ戦争」という。
「ポエニ戦争」とは「フェニキア戦争」と同義である。
ポエニ戦争といえば、何より有名なのがハンニバルである。
ローマと24年戦って、ついに敗れたカルタゴは、やがて戦後の混乱を乗り切って、再びローマと対決する。
その立役者がハンニバルであり、彼の総指揮のもとに17年間戦われた「第二次ポエニ戦争」は別に「ハンニバル戦争」とも言われた。
ハンニバルは稀代の戦略家であり,戦術家であり、政治家であり、学識にも優れ、人間的にも大変魅力ある人物だったのである。
ハンニバルをして、人々の胸に長く記憶させたのは、通常ではとても考えられないような、
はなれワザを彼がやってのけたからである。
それは何万という軍隊とともに、象の群れを率いて冬のピレネー山脈を越え、スペインからイタリアへ進軍した事である。