超巨人 明の初代皇帝・ 朱元璋(しゅげんしょう)
2006年 08月 10日
明の太祖・朱元璋(洪武帝)-8
モンゴル・ 元朝衰退の原因
蒙古族の統治階級内部の矛盾が先鋭化し、政治が腐敗したことは、元朝を衰退させる内部要因となった。
偉大なクビライは80歳と言う長命のため長期政権(43年間)を打ち立て安定していたが、その死後40年間の帝位継承は、正に軍事的争奪戦で、何と40年間に9人もの皇帝が代わっている。
宮廷内の上層部は、互いに殺し合い、中央政府の威令は行なわれず、地方の権力が相対的に強まったのである。
軍事的衝突と殺し合いの他に、元朝の墓穴を掘ったものに政権の腐敗と財政の破綻がある。
クビライは、南宋を滅ぼし中国全土を支配した後も、幾度と無く侵略戦争を発動した。
至元19年(1282)には、10万の大軍を動員して日本を襲ったが、暴風雨に逢って大敗している。
そのほか、安何国(ベトナム)には三回、叉ビルマ・ジャワにも派兵している。
負けても負けても諦めずに、兵を出すものだから、財政負担はたまったものではない。
やむなく金儲けのプロである商人を大臣に任命したが、私腹を肥やし、労役や租税を増やすばかり、官位売買が一般化して政府は一段と腐敗してしまった。
叉、宗教にも膨大な国費を使い財政破綻の一因となった。
宗教が人間を麻痺させることを利用する為、元朝はあらゆる宗教を保護した。
歴代皇帝は仏教を信仰し、即位の前には必ず受戒し、宮廷での仏教行事は年間500回を数えたほどである。
叉、ラマ教の高僧達を帝師や国師に任命している。
人事も出鱈目で、元朝末期になると、才能や力量に関係なく、ゴマすりと官位売買だけが横行、地方官の汚職は酷いものになっていた。
特に,蒙古人、色目人の官僚は、人を見ると金品をせびって恥じる事が無い。
正に、「大官が小官を喰い、小官が民衆を喰う」と言う有様であった。
元朝末期の世相はこんな状態であったから、もう民衆は決起するほかは無かったのである。
これに対して、元の軍隊は長く都会に住み将軍将校も世襲されていたので、戦争のやり方も知らなくなっていた。
モンゴルが興った当初の主力軍をなした精悍な好漢たちの子孫はすっかり変質していた。
蒙古族や色目人が、漢人と南人を痛めつけてきた道具である軍事力も、もう腐り切っていたのである
こんな状態の元朝であったから、雷鳴を轟かすように沸き起こった紅軍に対抗できなかったのも不思議ではない。
このような時代背景があったので、朱元璋をして貧農の子ながら徒手空拳、一寸の土地をもたない卑賤の出ながら天下を統一し、皇帝まで駆け上れた要因である。 "