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天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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ブログ 信長 8 天下布武

               天下布武...信長の公約

 桶狭間で今川義元を打ち破ってのち、再三に渡って美濃に侵攻するも、父・道三を撃ち破った斉藤義龍を支える美濃衆の結束は固く、その力は侮りがたいものがあった。

 永禄4年(1561)5月・斉藤義龍が脳卒中で突然倒れ35歳の生涯を閉じる。
跡を継いだ斉藤龍興は元服したばかりの14才であり、美濃一国を統治する才覚はないと思われたのも当然であった。

 信長の美濃征服は時間の問題だと思われたが、美濃衆の反抗は激しく信長は幾度となく兵を進めるが、そのたびごとに押し戻される。
信長が美濃を支配できるまでには、桶狭間の合戦から実に7年もの歳月を費やす事となる。

 永禄10年(1567年)・・8月15日・信長・斉藤龍興を追って稲葉山城に入城。
その地を岐阜と改める。
臨済宗の禅僧・宗恩沢彦(そうおんたくげん)の撰である。
周の文王が岐山に興ってついに天下を平定したと言う故事にもとずくという。

 ついで、永禄10年11月から「天下布武」の印章を使い始める。
時を同じくして、永禄10年11月9日に、ナント、時の天皇である正親町天皇からの綸旨が届いたのである。

 綸旨にいわく「このたびの尾張・美濃の統一は・・・古今無双の名将・・・・」・と信長を持ち上げるのである。
この時代では、武田信玄・上杉謙信・北条氏直・毛利輝元他の戦国大名が割拠している頃であるから、いかにお世辞?とはいえ、やっと二国を統一した新出来大名の「信長」を見い出した視力は、正親町天皇が時代の流れにもっとも鋭敏な政治家である証左と言える。

そこで、「天下布武」とは何か?
今日「現在」の姿を改革する。

 天才信長に比肩するナポレオン曰く・「余は常に2年後にのみ生きている」・・と。
つまり、ナポレオンには、「現在」と言うものが存在しなかったのだ。
絶えず将来を見据えての行動といえる。

 信長の精神にとっての現在と言うものは、常に新たに創造すべきもの。・・であり
天下の規模において「現在」を改変すること。、
この一点を視ながら行動する。・・
未来を予測して、仮案を立て幾たびもシュミレーションをして後実行する。

 天才ほど常人以上に努力する・・と聞くが信長も同じで、酒もあまり飲まず、小食で
外部では想像出来ないほどの努力をしていることを近習は肌で知っているから、皆が
恐れながら尊敬の念を抱くのである。

 現代は世界又日本の指導者にとって、大変難しい時代であるが、誰がこの信長のような努力をしているのだろうか?
大いに疑問である。
by kenji1942 | 2006-10-12 10:11 | ブログ 信長