天才!道元 禅の心 4
2006年 10月 21日
数多くの日本の祖師の中で親鸞聖人と並ぶ二大巨頭である。 それはその宗教書「正法眼蔵」の偉大さによる所が大きい。入宋して大悟し、帰国後、永平寺を開く。
道元24歳、念願の入宋
天才・道元は15歳の時すでに日本の仏教界に絶望していて、比叡山で出家したものの、一年とちょっとで、山を降りてしまった。
山を降りた道元は、京都の建仁寺に入って明全についた。
彼は心の底で、日本の仏教界には尊敬すべき指導者はいないと思っていた。
建仁寺の師である明全にたいしても、全幅の信頼を置いていたわけでもない。
道元は歯ぎしりするような気持ちで、入宋のチャンスを待っていたのである。
そして、その機会がやってきたのは、貞応2年(1223)、道元24歳の時だった。
ちなみに、この一年前貞応元年(1222)に、日蓮が生まれ、翌年貞応3年(1224)には、親鸞がその主著(教行信証)を書く。
鎌倉では、北条義時が死に、北条泰時が執権となった頃である。
そして、ついに貞応2年3月、師の明全とともに博多を出帆した道元は、東シナ海を横断する南路をとって明州慶元府に着岸し、ほどなく師・明全とともに天童山景徳寺に入門する。