ブログ信長 103 神になろうとした信長
2007年 02月 05日
信長の思いは生きている内が華であり、死んだらそれまでなのだ・・と言う徹底した唯物的な合理性の発露である。
そのためにも現世を精一杯生きねばならないと言う現実肯定的で前向きな思想でもある。
そこにはまた、生存の保障が無かった戦国時代から、生存を前提とする太平の世へ移行させようとする信長の意思を読み取ることができる。
安土城内に建立した総見寺は各地から建造物を移築してできた、いわば「寄せ集め」の寺院であり、その本堂に神体として祀られていた「盆山」も、もともとは安土城内の天主の二番目の書院に信長の代わりとして飾られていたものだった。
信長は新しく建立した総見寺に人を集めようとした。その為人々が有りがたがる仏像を集めたが、仏像だけを拝むこととなるので、もっとも価値のあるものだとして「盆山」を仏像の上の階に置いた。
「盆山」は信長の代わりだから、人々が「盆山」を拝むと言うことは信長を拝むと言うことになる。
このことが、信長が神になろうとしたと思われる因である。
それは、フロイスが解釈したキリスト教的な唯一絶対神になろうとしたのではなく、諸宗教を取りまとめ、その上にたって庇護する為政者、多分に神秘のベールを纏った為政者たらんとするためであった。・・・・・・
これが真相に近い解釈。・・・とする方が無理が無いと思われる。
叡智に満ちた信長が「本当の神」になろうと思ったとするのは大いに違和感があるモノである。