人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

ブログ信長 義昭動く

 京を追われて天正元年(1570年)紀井由良・興国寺にのがれていた義昭が再び石山本願寺の顕如に加勢して蠢動する。

 信長は天正2年9月に長島一向一揆を討伐、天正3年5月に長篠の戦で武田勝頼の騎馬軍団に圧勝。後顧の憂いをなくして越前の一向一揆を攻め滅ぼす。

 義昭は突如天正4年紀伊を離れ備後の鞆に移り住み毛利氏の保護を受ける。
義昭は信長討滅に情熱を傾け上杉謙信・毛利・北条氏等を動かす為御内書を発し教唆を始める。
まず毛利元就の次男吉川元春に御内書を送り石山本願寺の救援を要請する。

 信長は毛利氏と永禄12年(1569年)以来交友を続けてきた。
元亀2年(1571年)吉川元春との戦いに敗北した尼子勝久、山中鹿之助主従が京都に逃れてきたとき信長は密かにかくまう。

 その後信長は義昭を追放し室町幕府を滅亡させ、強力な中央政権を打ち立てて行くにつれ
将来の毛利征服を見越しての布石を打ちつつあった。
尼子一族・播磨の別所一族・備前の浦上宗景等の反毛利勢力を援助し挙兵させるなど
の調略活動が露骨になってきた。

 このため、毛利氏は信長と長らく友好関係を築いてきたが、天正4年やむをえず義昭の誘いに応じて反信長戦線に立ち上がり石山本願寺の救援を敢行する。

 毛利領内の安芸には熱烈な信仰により団結した安芸門徒と呼ばれる一向宗信者が多く本願寺救援は必然的でもあった。
by kenji1942 | 2007-05-11 07:30 | ブログ 信長