ブログ信長 豊臣政権
2007年 05月 29日
豊臣政権崩壊の原因としては
①高度成長政権
②有力な後継者の不在
が主因として挙げられる。
①の高度成長政権問題は
信長の遺産である兵農分離を拡充させての専業兵士の軍団と、秀吉の兵站重視策をもとに高度成長政権が完成し全国を統一できた。
しかし、いざ戦争が終わってみると、10数万人の専門兵士の軍団が余ってしまったのである。
つまり、秀吉政権が抱えた問題は、今の日本が抱えている問題と同じ「リストラ」である。
この問題を解消するためのプロジェクトとして、余った専門兵士軍団で朝鮮出兵を第一段階とする中国征服計画が立てられたのである。
秀吉の全国平定を支えた輜重部隊による兵站線の確保についても、海を隔てた朝鮮を攻めるにはお粗末な海軍力しかなかった事も主な敗因である。
又、言語も地理も不案内の上に秀吉得意の朝鮮への調略もなく戦いに臨んだことも成功は覚束ないものであった。
この計画により今より何倍もの領地を貰う事を夢見ていた、後に武断派と呼ばれる加藤清正・福島正則といった秀吉子飼いの将たちも、結局兵を失い、財産を失い、命からがら日本に逃げ帰ることになった。
これが秀吉政権の滅亡の第一原因である。
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