関白・秀次ー4
2007年 06月 04日
秀次の正室「菊亭殿ご息女」・・貴族的な呼び方である「一の台(たい)」を持って待遇される女性の歌である
つま故に曇らぬ空に雨降りて
白川草の露と消えけり
(夫たるあなたに連座して、無実の罪を着て、私も白川(鴨川支流の名であるが、ここは賀茂川をさす)の露と消えていきます。
「一の台(たい)」は、わが生涯が、三条河原で「露と消えけり」と詠っているが、三年後の8月18日には、秀吉自身が、
つゆとをち つゆときえにし わかみかな
なにわの事も ゆめのまたゆめ
と辞世を残して死に行くのである。
悲劇の女人も、天下人も、人という単位では、等しくはかない「露」なのであった。
平安朝以来、人の生涯を象徴するありきたりの言葉「露」、しかし、「本当にそうなんだ」と感じられる時は、何人も生涯に一度のみ。
だからこそ、ありきたりの「常套句」ではなくなるのである。