比類なき大帝国 ローマの興亡-8
2007年 11月 06日
五代目の王・タルクィニウスはエトルリア文明を駆使し、大規模土木事業・経済の活発化などをはかり人々の生活の向上に大いに寄与した。
したがってその治世が37年を迎えても、いまだ市民達の人気は高く元老院の評判も良かった。
しかし、先の四代目王・アンクスの息子二人は王位の簒奪をはかり、タルクィニウスを暗殺する。
王を暗殺された妻には二人の息子がいたが、タルクィニウスが生前目をかけていた、利発さと勇気のある娘ムコのセルヴィウスに声をかけ王位を手中にしてしまうように勧めた。
このような事情があって、第六代のローマ王になったセルヴィウスは、市民集会での選出を経ずに、元老院での決議だけで王に即位したのである。
六代目王・セルヴィウスは,ローマの七つの丘全てを囲いこむ大規模な城壁を築く。
これで防御は完全になり、外部への軍事的成功もあいまって、この頃のローマは周辺の部族のなかでも一頭地を抜く存在となっていった。
また、セルヴィウスの為した業績のうちでも最も重要なものは、軍政の改革である。
国民の義務は税金を払う事であり、国を守ることでもある。
古代ではローマに限らずギリシャでも、直接税は軍役を務めることで支払うのが普通であった。
軍政の改革は人口調査を伴う、税制の改革・選挙制の改革でもあったのである。
セルヴィウスは強力な戦法を確立した。
当時の戦いはただがむしゃらに押しまくるだけであったが、ローマ軍は、騎兵に機動部隊の役割をあたえ、歩兵を前衛・本陣・後衛に三分し、、隊列も乱さずに攻めまくるので周辺の部族との戦いも勝利に次ぐ勝利の連続であった。
かくして暗殺された先王タルクィニウス・ブリスコの後を継いだ六代目の王セルヴィウスの治世は44年と言う長きに及んだのである。