比類なき大帝国 ローマの興亡-17
2008年 01月 14日
南ヨーロッパでは、平原は畑と牧畜に活用され、海には商品を満載して船が行き交っていた時代、北ヨーロッパは未だ深い森に覆われていた。
この森の住人がケルト族である。
ケルト人とはギリシャ人の与えた名前で、ローマ人はガリア人と呼んでいた。
今日ではアイルランドにしか残っていないが、古代ではヨーロッパの最も広い地帯に住んでいた民族である。
西暦も紀元前六世紀に近づく頃からケルト人の移動が始まった。
但し、大挙して一度に押し寄せたのではなく、北に起こった波が南・東・西に波及するように、北にあった民族が近くの部族を押し出し、押し出された部族が、その外側の部族を押し出すと言うかんじで、東と西と南への侵入が始まり、とうとうイタリアまで達するようになったのである。
だが、はじめの頃のケルト人は、ローマの脅威にはならなかった。
ローマとケルト人の間にはアペニン山脈が横たわり、叉強大なエトルリア人の勢力圏がいまだ健在だったからである。
当時のエトルリア人には、経済力と技術力に加えて軍事力もあったのである。
かくして、ケルト人南下に対する防波堤の役目をエトルリア人がはたしてくれた為、ローマはケルト人の圧力を感じなくてもよかった時代が暫らく続くこととなる。