比類なき大帝国 ローマの興亡ー30
2008年 05月 07日
カルタゴ(羅:Karthago、英:Carthage)は、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖(en:Lake of Tunis)東岸にあった古代都市であり、現在は歴史的な遺跡のある観光地となっている。
「カルタゴ」は、フェニキア語のカルト・ハダシュト(Kart-Hadasht=「新しい町」)に由来し、カルタゴ語では母音を抜いてQrthdstと綴る。アラビア語表記は قرطاج
カルタゴは紀元前三世紀半ばには、すでにローマ領に接するシチリアの西半分を勢力下においていた。
シチリアの東半分にはシラクサとメッシーナが健在で、ローマとカルタゴの間のクッションの役割をしていた。
このような時代背景の時、紀元前264年、ローマの元老院は前例の無い難問を前にして苦慮していた。
メッシーナが、シチリア第一の強国・シラクサの侵攻の矢面に立たされたため、ローマに救援を要請してきたのである。
メッシーナの人々はカルタゴに支援を求めるよりもローマを頼るほうを選んだのである。
だが、頼られたローマは迷っていた。ローマ人は法を尊重する。
同盟関係にある友邦から救援を頼まれれば、応ずるのが義務だがメッシーナとは同盟関係にない。
その上、狭い海峡とはいえ、シチリア島のメッシーナに行くには海を渡らねばならない。
農牧民族であるローマは軍船はおろか輸送船団さえ持っていなかった。
つまり、ローマの軍団は、いまだ一度も海をわたったことがなかったのである。
しかし、ローマがメッシーナの要請を断れば、メッシーナはカルタゴを頼るのは明白であった。
ローマ人ならば足踏みしてしまうメッシーナ海峡も地中海最強の軍船団を持つカルタゴにとっては問題にならない。
メッシーナがカルタゴの手に渡るということは、ローマ人にすれば、イタリア本土とシチリア島の間に眼に見えない橋が架けられることを意味していた。
カルタゴがメッシーナを手中にするとなると、大変な事になる。
カルタゴはアテネが衰退したこの時代、地中海第一の海運国であった。
もしも、カルタゴがメッシーナも基地にするとなると、南イタリアを囲む海域の制海権は、もはや
カルタゴのものと思わざるを得ない。
そうなっては、ローマを盟主とする「ローマ連合」諸都市の安全にとって由々しき大問題である。
迷ったローマ元老院は兵役該当者で構成されている市民集会に決議を求めた。
そして、市民集会がくだした決議は、メッシーナ救援要請の受諾であった。
しかし、参戦を決めたとはいえ、ローマ人は当初、この参戦が第一次戦役だけでも23年間も続く事になるとは、叉、カルタゴ(フェニキア人)との正面きっての対決になろうとは考えてもいなかったのである。
かくして、世に有名な「第一次ポエニ戦役BC・264」の勃発である。
★★★
通商国家・・・経済大国・「カルタゴ」・・・
カルタゴは北アフリカにあり、地中海を挟んでローマの対岸にあって現在のチュニジアの地がそれである。
正確には「カルト・ハダシュト」・・すなわち「新しい都市」と言う意味であり、
今から2000年以上も前に北アフリカにあって、地中海世界で繁栄を誇った「通商国家」である。
この国と最初に張り合ったのはギリシャであった。・・が、そのうち、ようやく力を蓄え、軍事大国にのし上がったローマがカルタゴの相手を引き受ける。
そして、三度にわたる挑戦・応戦の結果、ローマはついにカルタゴを粉砕し、地上から文字通り抹殺してしまう。
世に言う所の「ポエニ戦争」である。
この「経済大国」・カルタゴこそが、「ローマによる平和」を脅かす最大の敵であると見なされたからである。