37 カルタゴ と ローマ・・・8
2008年 05月 28日
敗戦によりシチリアから撤退したカルタゴの傭兵達は、給料の支払いで不満を持ち5万人に及ぶ大反乱軍を起こす。
紀元前240年・カルタゴ政府は武力による鎮圧を決意し、一万の兵を組織しハミルカルに総指揮を委ねる。
名将・ハミルカルのもと、彼に私淑していたヌミディア人の騎兵二千も鎮圧軍に参加する。
傭兵を中心とする大反乱軍は、数では優勢であったが指揮官がいない。
名将・ハミルカルに戦術を駆使されては敵ではなかった。
しかし、圧倒的な数的優勢の反乱軍には手を焼き、戦いは3年と4ヶ月にも及んだ。
名将・ハミルカルは最後に戦術を駆使して、叛乱軍を山に追い上げる事に成功し、大量の象・部隊を持って反乱軍の殲滅に成功する。
この3年余にも及ぶカルタゴ本国の混乱の間に、サルデーニヤ島がローマ軍の傘下に入った。そして、その北に位置するコルシカ島も自動的にローマのものとなる。
こうしてローマは、シチリア、サルデーニヤ・コルシカを支配下に収めた事により、イタリアの南・西と制海権を確実にした事になる。
そしてこのことは、西地中海の制海権が、ますますカルタゴの手から離れ、ローマのものになっていくことを意味する。
叛乱を鎮圧して危機を脱したものの、カルタゴ本国では国内重視派と対外進出派との抗争を終らせる事は出来なかった。
対外進出派の統領格であった名将・ハミルカルは、国内重視派が優勢なカルタゴ本国を去ってスペインに本拠を築く事を決断する。
当時のスペインにはすでにカルタゴの植民地があったが、あまり大きくは無かった。
このスペイン移住にハミルカルは、9歳になっていた長男のハンニバルを同行したのである。
★★★
ハンニバル(BC247~BC183)
ローマとカルタゴとの間で戦われたところの、ハンニバル戦争と呼ばれた第二次ポエニ戦争は足掛け17年も続いた。
第一次ポエニ戦争の24年に較べれば短いといえるが、ハンニバルはこの長い年月を一人で支えたのである。
まさに超人であるといえる。
しかも、相手は世界に名だたる軍事大国のローマである。
そのローマのフランチャイズであるイタリア半島に15年間も陣取って、ローマ元老院を顔色なからしめたハンニバルと言う将軍は、将に偉大な名将といえる。 "