52 カルタゴ と ローマ・・・23
2008年 07月 24日
ハンニバルはカンネの会戦の後に勝利を知らせる為、末弟・マゴーネをカルタゴ本国に送る。
カルタゴ元老院の議員は、会戦で討ち死にしたローマ兵の指から抜き取った金の指輪で山が築かれたのを見てどよめいた。
しかし、ハンニバルの属する他国への進出派とはl、常に確執の仲であった国内重視派の巨頭・ハンノンは、マゴーネに質問する。
「ラテン民族の中でどの部族が我々カルタゴの側に寝返ったのか。
叉、37もあるというラテン植民都市の中で、どれくらいが戦線から離脱して、ハンニバルの軍に投降してきたのか」
マゴーネは老齢の有力者に答える。
「いえ、ひとつもありません」。
ハンノンはローマを支える植民都市や同盟諸都市の市民に、ローマを見離す気配が無い事を
知って依然としてローマの強大さを確信する。
ハンノンは提案する。
「ハンニバルが奇跡的にアルプスを越えて後に連戦連勝し、叉、カンネの闘いで大勝利を収めたと雖も、敵のローマ連合はいまだに強大である。
従ってこの時点でローマと講和を結ぶ事が最善の策である。」・・と。
しかし、カルタゴの大勝に酔うカルタゴ元老院はこの策をとらなかった。
叉、ローマもこれを望まなかった。
ああ、惜しむらく。歴史にイフは無いとは雖も、
この時点で講和をしておれば、地上からカルタゴの生滅と言う不幸は無かったかもわからない。
ハンニバルは、四度の敗戦で自信を喪失したローマが、シチリアとサルデーニャと南イタリアを放棄するのを条件として講和を提案する。
つまり、第一次ポエニー戦役でカルタゴが失ったものを全て獲得したいと思ったのである。
ハンニバルから講和打診をローマは拒絶した。
ローマからの回答を知ったハンニバルは、捕虜である8000人のローマ市民兵全員を奴隷としてギリシャに売り飛ばした。
戦役続行の意志を明らかにしたローマでは、元老院議員の全員が不動産以外のすべての財産を供出すると決めた。
叉、戦費確保の為の戦時国債が発行され、無産階級を除いた全市民にもそれぞれの経済力に応じて割り当てられた。
紀元前215年ローマは危機的状況に陥っていた。
東はカルタゴ軍と同盟を結んだマケドニア・南はローマに叛旗を翻したシチリア島のシラクサ・南はカルタゴ傘下のスペイン、北はガリア民族、そして、イタリアの中には最も手強いハンニバルがローマを狙っていたのである。