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天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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59  カルタゴ と ローマ・・・30

        ハンニバル大敗す!

 紀元前・202年。
ザマの大会戦により、17年にわたった第二次ポエニ戦争〔ハンニバル戦争)はローマ執政官・スキピノの大勝利に終わる。

 かってローマ軍がさんざん苦杯をなめたあのカンネーの会戦、ハンニバル軍が圧勝したあの戦いが、時と所を変えて逆になりカルタゴ軍は包囲殲滅された。

 作戦の上ではハンニバルはスキピオに勝るとも劣らなかったが、有力な騎馬国家であるヌミディアのマシニッサ王がローマ・スキピオ側についた事と、ハンニバル軍の中核にはあまりに頼りない傭兵しかいなかったのが敗因であった。

 45歳の古代屈指の名将・ハンニバルは、子飼の兵士たちが殺されていくのを見守るしかなかった。

 カルタゴ側の戦死者は三万五千をはるかに越え、叉、二万の兵が捕虜になり、ハンニバル自身は、数騎を従えただけで、ハドゥルメトゥムに逃げた。

 ローマ側の戦死者は、千五百でありスキピオの完勝だったと言える。

 ローマの英雄・大スキピオは過去数回に渡ってハンニバルに敗れている。
その敗戦の中から、ハンニバルの戦略,戦術が歩兵と騎兵の双方を有機的に活用する事によって敵を包囲し全滅に持っていくことにあると喝破して大いに参考とした。

 ハンニバルがアレキサンダー大王を崇敬して戦術を学んだように、スキピオはハンニバルから大いに学んだのである。

 ザマの大会戦ではスキピオが勝ち、ハンニバルが敗将になった。
しかし、カルタゴの滅亡のあとの古代ローマでの民心は、武将としては敵のハンニバルを、救国の英雄であるスキピオより上位におくことで一致している。

 ハンニバルの不幸は、優れた弟子が敵方に出てしまった事であると言える。

★★★
 ザマの大会戦

 スペインを制覇してローマに帰国したスキピオは英雄として称えられた。
スキピオは執政官に必要な年齢に達していなかったが、特例として紀元前205年に執政官に選出された。

 カルタゴとの戦争に決着をつけるため、スキピオは敵本土への直接攻撃を訴えたが、元老院はこれに難色を示した。
クィントゥス・ファビウス・マクシムスや大カトーが反対派の急先鋒となり、結局元老院はこの提案を退けた。

 スキピオはシチリアに派遣され、その地で軍隊を徴募した。
翌紀元前204年、スキピオはプロコンスル(前執政官)として軍団を率い、北アフリカのウティカへ上陸した。

 カルタゴ軍はヌミディア軍と協同して迎撃に向かったが、スキピオはこれを一蹴した。余勢を駆ったスキピオはヌミディアへ侵攻し、ヌミディア王シュファクスを捕縛、自身の保護下にあったヌミディアの王子マシニッサを王に即位させてアフリカにおける同盟国を得た。

 しかもそれは同時に屈強な騎兵をカルタゴから奪い取ることでもあった。
カルタゴはイタリア半島のハンニバルを呼び戻して戦力を再編する一方で、ローマに休戦を打診した。

 ローマの元老院は申し出を了承したが、不測の事態が起きて交渉は決裂した。
カルタゴはハンニバルに約50,000名の兵と80頭の戦象を率いさせて派遣し、スキピオも約40,000名の兵を率いてヌミディアからカルタゴへ兵を返した。

 紀元前202年10月19日、両軍はザマの西方で対峙した。

 ザマの戦いでハンニバルは最初に戦象を突撃させたが、スキピオはこれを予測して部隊を配置していたため、突撃はほとんど威力を発揮しなかった。

 続いてハンニバルは騎兵を偽装後退させた。ヌミディアの協力を得たローマ軍は、騎兵戦力においてカルタゴ軍に勝っており、ハンニバルはこれを戦場から引き離そうとしたのである。

 この策は成功し、両軍の歩兵同士の正面衝突となった。カルタゴ軍は歩兵を3列に並べ、前2列と戦って消耗したローマ軍に予備軍として最精鋭の古参兵をぶつけるという作戦だった。

 しかし、カルタゴ軍前2列の歩兵は戦意が低く、精強なローマ歩兵に圧倒された。
やむなくハンニバルは事前の予想より早く予備軍を投入したが、これも突破はできなかった。

 ここでカルタゴ騎兵を駆逐したローマ騎兵が戦場に復帰、カルタゴ軍は包囲された。歩兵のおよそ半数が降伏し、残りの半数が殺戮された。

この戦いの結果、カルタゴの野戦軍はほぼ消滅し、ハンニバルの無敵神話も崩れ去った。
戦意を失ったカルタゴはローマに和平を願い出た。

 ローマ代表は,スキピオ。カルタゴ代表は,ハンニバル。

 両者で和平交渉をすることとなったのである。
by kenji1942 | 2008-10-12 19:22 | ローマ帝国の興亡