天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715

2005年 02月 28日 ( 1 )

 関が原の戦後処理、論功行賞は全て家康の主導によって行なわれた。
関が原の大勝利から二年後、ニ条城を築いて京都の拠点とするなど、家康はもはや実質的な天下の支配者であった。

 だがたてまえは、あくまで秀吉の遺児秀頼を立てると言う形を取り続けた。
慶長8年2月8にも、家康は大坂城に赴いて秀頼に年賀の挨拶を述べている。
しかし、この日が、家康が秀頼に対して臣下の礼を取った最後の日となった。

 4日後の慶長8年2月12日、家康は朝廷より征夷大将軍に任じられ、名実ともに武門のトップ、政権の担当者となる。

 江戸幕府の始まりである。  62歳。

天下人たらんことを胸に秘めて徳川と改姓してから37年の歳月が過ぎていた。
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by kenji1942 | 2005-02-28 17:40