天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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2005年 03月 22日 ( 1 )

 慶安4年(1651)4月、三代将軍徳川家光が死亡する。
4月20日の午後、将軍家光が江戸城本丸で息を引き取ったその夜、佐倉城主堀田正盛・岩槻城主阿部重次・側衆内田正信はそれぞれの屋敷において追い腹に及んだ。

 翌21日には小十人組頭であった奥山安重、23日夜には書院番頭奥勤の三枝守重も追い腹を切った。
親政によって将軍権力を体現してきた家光の死は、臣従してきた者たちの殉死をともなって、一つの時代の終焉を強く印象づけた 

 いくさは破戒を繰り返し、平和は文化を創造する。かつ文化の創造は平和を持続させる。
応仁の乱が1467年(応仁元年)に起こってからおよそ150年間、戦国時代・天下統一戦争と日本国内は戦の連続であった。

 また東アジア世界も倭寇に続くヨーロッパ勢力の進出と豊臣政権の朝鮮侵略、さらに17世紀からは中国での明清の戦乱が国際秩序の不安定を招いた。

 国内外の平和は、1651年(慶安4年)の将軍家光の死後、4代家綱政権の樹立後、1660年代になって確信されるようになった。
平和の到来は社会全体の生産力を上昇させ、商品流通も活発になり全国各地を結ぶネットワークも蜜になった。

 経済成長が進み社会全体にゆとりが生じたことは、幅広い担い手による文化創造を生むことにつながった。

 
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by kenji1942 | 2005-03-22 19:34