天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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カテゴリ:細川幽斎( 1 )

 戦国の世を足利義昭、信長、秀吉、家康に仕え
しかも76歳の天寿を全うした細川(藤孝)幽斎とは如何なる人物であろうか。

            細川幽斎 人生の達人

 慶長5年(1600)9月細川幽斎は大坂に行き、家康に会い御礼を申し上げると、家康は田辺城籠城の事を褒めて「何にてもあれ望みのままにこの度の恩賞としてかなえてやろう」といったが、幽斎は堅く固辞した。

 11月に入って、細川忠興は家康より豊前国を拝領し、丹後23万石から豊前小倉36万9千石の大名となった。
3ヶ月間の田辺籠城の心身の疲労がたたってか、この頃、幽斎は散々の体に煩っていた。

 「細川家記」によれば
慶長15年(1610)夏の頃より、なんとなく煩い気味であったが、8月に至り次第に容態が悪化し、8月20日午後3時前、三条車屋町の屋敷で逝去した。年76歳。

 細川幽斎から古今伝授を受けられた智仁親王は寛永2年(1625)古今集の奥儀を後水尾天皇へお伝えになり、後水尾天皇はこれを後西天皇へ伝えられた。

 細川幽斎の智仁親王に対する古今伝授は、ここに御所伝授として脈々と禁裏の中に受け継がれていったのである。

 松永貞徳は師の細川幽斎を
           「しおらしき大名」と評した。

 しかし、義昭・信長・秀吉・家康らのしがらみを見事に絶ちきり、戦国時代の疾風怒濤を乗り越え山城国西岡青龍寺のわずか3千貫の所領より立ち上がり、嫡孫の忠利にいたり肥後熊本54万石の大名となる基を築いた細川幽斎は、、したたかな生命力に溢れた人物であった。

まことに人生の達人と言えよう。


                 細川幽斎  完
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by kenji1942 | 2007-03-25 10:12 | 細川幽斎