天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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                ローマ元老院
 紀元前753年。
ローマ元老院の始まりは、ローマ建国の父・ロムルスが百人の長老を招集したことによる。
この百人の率いる家族がローマ貴族のはしりであったとされる。

 それが建国後の紀元前250年ごろ、つまり500年後には、死に絶えたり後継男子に恵まれなかったりして五分の一に消滅してしまったのである。

 ただし、その間元老院議員の数は三百人に増員されているから、元老院という共和制ローマの心臓部を形成するエリート達に占める建国以来の名門貴族の割合は、十五分の一に減ってしまったと言う事である

 かくも甚大な減少は、その間ローマがせざるを得なかった絶え間の無い戦闘が、指導者階級に属するこれらの人々に、他のだれよりも多い犠牲を強いたことによるのである。

 この事態がありながらローマの支配階級に属するローマ元老院の議員数は減ってはいないのである。
政府の要職や元老院の議席を平民に解放することで、ローマは常に新しい血を供給することができたからである。

 ローマの支配階級に入れる基本的条件は、ただ単に、ローマ市民権の所有者、であったからに過ぎないのだから。
つまり、ローマの市民権さえ持っていれば、氏素性は問わず能力次第ということなのである。

 ケルトショックによる蛮族の襲来で恐ろしい体験をした結果ではあるが、ローマが再起できたのは、常に新しい血を導入する事を忘れなかったローマ人的考え方の成果である。

 まさにローマの叡智のなせるわざと言える。
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by kenji1942 | 2008-03-03 18:21 | ローマ帝国の興亡