天才!信長から歴史の散歩道へ


by tyuzuki715
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           ローマ人とアレクサンダー大王

 組織も国も「新しい血」を導入しなければ衰退し滅びる。

 ローマ人はケルト族の襲来の時もサムニウム族との40年に及ぶ戦争でも、南イタリアのギリシャ植民国家との10年におよぶ戦争でも、ローマ市民の血は流され続けるのである。

 この傾向は永く変わらなかった。
第二次ポエニ戦役の当時、カンネの戦いで、ローマはカルタゴの英雄・ハンニバルに完膚なきまでの敗北を喫する。

 このとき、6千のローマ騎兵のうち生き残ったのは370騎、8万のローマ歩兵のうちで3千の兵しか生き残れなかった。

 それでも尚、ローマは再起できたのである。
このときの敗戦に限った事ではないが、敗北を喫した後のローマ人の態度は時代を超えて次の三点に要約される。

 第一に、敗北の将は罰せられない
現代人なら、失地挽回の期待を与えるためと考える所であるが、ローマ人は違った。
ローマ人にとって自分の勝利は、自分の属する共同体が勝ってはじめて成就する。

 それゆえ共同体内で自分に課せられた任務に失敗した人間は、身も世もない恥辱に苦しむのである。

 つまり恥に苦悩すると言う罰を充分に受けたということなのである。
名誉心を徳の第一と考えたローマ人にとって、名誉を失うことがなによりも重い罰になるのである。
したがって、 解任したり罪に問う必要はないのである。

 第二は「新戦術」の導入である。
敵の勝利と味方の敗北の原因を徹底的に検討し新たなる戦術を考案する。

 第三は、「ローマ連合」の拡大と確立である。
ローマとの同盟関係を地方に拡大し、新たなる「血」の導入に励む。

 ローマ建国時の基本戦略である、新しい血を導入する事を忘れなかった、ローマ人の考え方の成果である。

 このことはギリシャにもエジプトにもカルタゴにもエトルリアにも、全く見られない、ローマ人の「哲学」であったと言える。

 世界史上でも、この「新しい血の導入」の有効性に着目し、それを積極的に推し進めたのは、ただ一人英雄・アレクサンダー大王のみである。

 ローマにとっての無常の幸運は、ローマの勃興期と同時期に生まれたマケドニアの風雲児・天才・アレクサンダーの視線が、ローマのある西方ではなく、、東・オリエントに向いていたことである。

 もしもアレクサンダー大王が、東方に攻め入らずに西に向かっていたら興隆途上のローマはどうなっていただろうか。
歴史の「イフ」は禁句であるとされているが、興趣の尽きないところである。

★★★
アレクサンダー大王

BC356~323年
古代マケドニアの英雄
東方遠征によって空前の大帝国を建設,ヘレニズム時代を開いた。アレクサンドロスともいう。

前4世紀に力をのばしてギリシャ全土をしたがえた,マケドニア王フィリッポス2世の子。
アリストテレスを家庭教師として育った。
19歳で王位をつぎ,前334年,昔からのギリシャの脅威であるペルシャ帝国を征服の軍をおこした。

 軍事的才能と,密集歩兵隊の力でペルシャ軍をやぶって小アジアを平定,エジプトもしたがえた。
前330年にはペルシャ帝国をほろぼし,さらにインドまで進んだ。

東方に発展したギリシャ文化は,ヘレニズム文化とよばれインドをへて中国や日本にも影響をおよぼした。
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by kenji1942 | 2008-04-16 11:24 | ローマ帝国の興亡